事業主さまの声

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第1回(2020.1.28)

株式会社 朝日相扶製作所

代表取締役社長

阿部佳孝

Yoshitaka Abe

今年50周年を迎える家具製作会社

聞き手 :   まずは簡単な自己紹介をお願いいたします。
阿部佳孝さん :
(以下 YA) 
  はい。
阿部佳孝(あべよしたか)と申します。年齢は48歳、千葉県の出身です。
33歳の時に朝日相扶製作所の社長に就任しました。
聞き手 :   千葉県のご出身とのことですが、どのような経緯で朝日町にこられたのでしょうか。
YA :   幼い頃から朝日町には里帰りで何度も訪れていました。祖父である(故)阿部宗一朗から、いずれ会社を継いでほしいということは言われていて、社会人になってからは当時朝日相扶の親会社であった岡村製作所(神奈川県・現 株式会社オカムラ)で6年間経験を積み、29歳の時に朝日相扶製作所に入社、その後社長に就任しました。
聞き手 :   会社のことを詳しくお聞かせいただけますか。
YA :   はい。ウチは1970年の創業で今年創業50周年になります。
今でもそうですが、会社ができた当時は今以上に朝日町は農業中心の町でした。そして冬の農閑期には男性は皆、出稼ぎにでなくてはならず家族バラバラに過ごすことを強いられていました。なんとか冬場も家族一緒に過ごすようにできないかということで企業誘致に力を入れていたんですが、祖父阿部宗一朗が当時、町議会議員だったのでそのプロジェクトの先頭に立って奔走したんですね。そこで名乗りを上げてくれたのが岡村製作所(現 株式会社オカムラ)さんだったんです。岡村製作所さんがなぜ名乗りを上げてくれたかというと、創業者である(故)吉原謙二郎さんのご家族が戦時中に朝日町に疎開していたという縁があり、戦後岡村製作所さんの神奈川にあるメイン工場に朝日町からの出稼ぎ労働者を数多く受け入れて下さっていたんです。その出稼ぎ労働者たちを出稼ぎに出ることなく地元で働いてもらおうということで、子会社として朝日相扶製作所設立となったんです。
聞き手 :   では最初の社名は岡村製作所だったということですか?
YA :   いえ、最初から朝日相扶製作所として会社設立となりました。
ただし、当時岡村製作所さんから会社設立のために出された条件があって、ひとつは工場を自前で用意すること。そしてふたつ目が経営者を本社から人材を派遣するのではなく、朝日町で適任の人材を探すこと、という条件を課されました。仕事は出しますが経営は自分たちで責任を持って担ってくださいということでした。
そこで町と県に最初打診をしたんですが、最終的に白羽の矢がたったのが祖父の阿部宗一朗だったということです。
聞き手 :   場所は創業当初からここだったんですか?
YA :   いえ、創業時は今の後藤商店さんのところに工場を建てました。あの場所が発祥の地です。当時、岡村製作所さんからの教えで、工場を立てるなら一等地、1番いい場所に建てなさいということで町の中心部であるあの場所を選んだそうです。その後、町で工業団地を整備するということで現在の場所に移転しました。
聞き手 :   創業時は何名くらいで始まったんですか?
YA :   一番最初は20名でスタートしました。出稼ぎ者が中心でした。今現在の社員は142名にまでなりました。
聞き手 :   それからずっと成長を続けていらっしゃると思いますが、創業当時は岡村製作所さんの下請けとしてスタートしたんですよね。
YA :   はい。当時は90%以上が岡村製作所さんの仕事でした。今は15%くらいの比率で、他に多くの取引先さまに恵まれてます。
バブル崩壊前までは岡村製作所さんの比重が高かったのですが、バブルが弾けたあとは岡村製作所さんも内製化や海外での生産に舵を切るようになり、ウチもその頃から新規の取引先を開拓することに力を入れ始め、リスク分散は割とスムーズにできたかなと思います。
聞き手 :   自社ブランドでの販売は今までしたことはないんですか?
YA :   一度あります。自社ブランドというか、サンテリアという会社を立ち上げてそこで売っていました。約20年くらいは続けたのかな・・・。でも結局うまくいかなかったんですね。商品を作り、カタログを作り、販売・・・、でも売れなかった。じゃあ、作ることに徹しよう、経営資源である「ヒト」「モノ」「カネ」をそこに集中投資しようということになったんです。作ることでは誰にも負けない企業になろうと決め、それからはOEMでの生産一筋で徹底してます。
聞き手 :   従業員さんの性別や年齢層の割合はどのようになってますか?
YA :   今は女性が50名、男性が92名です。平均年齢は42歳です。製造会社としては平均年齢は若いほうだと思います。1番年上の従業員は71歳です。定年後の再雇用で創業からずっと働いていただいてます。
聞き手 :   一度、辞めた従業員さんも再雇用するということですが。
YA :   はい。ウチは出戻りもOKなので、一度辞めても成長して帰ってきてくれれば再雇用します。出戻りの従業員は10名ほどいますし、役員になった人もいます。実力主義なのでプロパー(正社員)、出戻り関係なく、上にいくことも可能です。
聞き手 :   従業員さんは町内の方が多いですか?町外の方はどのくらいですか?
YA :   大体半々ですね。最近は町外からの従業員も増えています。今年は2名採用する予定ですが、本当は5名くらい採用したいと考えています。技術を継承しながら世代交代をはかるためにはそのくらいの採用が必要です。
聞き手 :   人材としてはどういった人を求めていますか?
YA :   いつも言っているのは、挨拶ができる人、コミュニケーション能力のある人、前向きな人、素直な人。そういう人を求めています。技術や知識は後から覚えればよくて、最初はゼロでかまいません。
聞き手 :   従業員同士のコミュニケーションを活発にするために何かされてますか?
YA :   「大樹会」という社員の代表の集まりがあります。そこの主催でビアガーデンだったり、社員旅行だったりを企画して社員間の交流をはかっています。あとは社屋内にあるんですが、「六本木」という、昔カフェとして営業していて、今は社員の福利厚生施設として使っている場所があります。その場所を有効活用して、食事会などを今後定期的にやっていこうかなと考えています。
聞き手 :   今後もOEMでの生産を基本路線として進めていくということですが、なにかこれからのビジョンなどはありますか?
YA :   そうですね。ウチは“いつかはエルメス”を合言葉に頑張っていて、エルメスから家具の製作を受注するようになろうという思いでやっています。
聞き手 :   エルメスの家具ってあるんですか?
YA :   あります。
そんなに遠くない未来にはこの夢はかなうのではないかなと思っています。そのためにさらに技術に磨きをかけて、いざ受注した時にクオリティ高い製品を提供できるようにしておくというのが目標です。
聞き手 :   何か他にぜひ伝えたいという思いなどはありますか?
YA :   そうですね、日本はどうしたって少子高齢化という流れを止めることは難しいので、これからは海外を視野に入れなければなりません。一緒に海外を目指せるような人材を求めています。
人も海外から呼びたいとも思っていて、朝日町で最高の家具を作りませんか?と世界中から人材を朝日町に呼びたいですね。
聞き手 :   貴重なお話、ありがとうございました。

 

【パーソナル ぷち情報♪】

趣味 : 読書・スポーツ観戦・スキー

最近読んで感銘を受けた本 : 
『日本電産 永守重信が社員に言い続けた仕事の勝ち方』 田村 賢司(著)

 

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